わたしの胸に墓標を

人間、本当にショックを受けると冷水ぶっかけられたみたいな、目の前が真っ白になるみたいな、足の力が抜けてくみたいな、全部みたいなですけど、そんな比喩表現がミルフィーユみたいに降りかかってくるんですよ。
わたしこんなにショック受けたの、産まれてこの方2回目かもしれない(一回目は母親の病気の告知だったけれど、あれはショックというより悲しみで、今回は絶望だった)

そんなわけで、わたしのこころは間違いなく、2013年11月2日に一度死にました。
間違いなくそれは「死」で、そしてそこにぽっかり空いた穴は、じわじわとかさぶたになっています。めくったら血と共に肉が露出するでしょうが、そしてわたしは何度もかさぶたをひっかいては流れる血に安心して、そして痛みと共に湧き上がる怒りを抑え込んでいました。

「彼」は、わたしにとって今までの、どんな人より不思議な子でした。
どうして好きなのかわからない。どこが好きなのかわからない。彼を見ていると胸が温かくなり、彼のことを考えているときが須らく「幸せ」でした。
ただちょっとその「好き」が強すぎて、心身のバランスを崩すこともありました。
20年以上生きてきて、ヲタ事でこんなことになるのは初めてでした。持て余していたし、どうすればいいかわからなかった。

そして私は彼のことを、紛うことなき「天使」だと思っていました。
天使というのは比喩表現で、本当は人間の男の子で、高校生で、ジャニーズJrなんだと、そんなことはわかっていました。
けれど、彼はとても賢くて、清く正しくて、自らの状況を、「社会的にしてはいけないこと」がなんたるかを、よくよくわかっていると思っていました。否、いま思うと、そうであってほしいと強く願っていたのです。清廉潔白で、真面目で、頑張り屋さんな、彼が好きだと思っていた。
だから、あの日、あの写真と共に「彼」に見える誰かの写真が、身の毛もよだつような言葉と共にネット上を駆け巡ったのを目にしたとき、わたしの心は死んだのです。

動けなかったし、言葉にならなかった。たしかわたしはそのときお昼ご飯に石焼ビビンバを作っていたのですが、その写真を見た後、ゆっくりゆっくり焦げていく卵をじっと見ていたような記憶があります。
焦げていく卵と、苦い匂い。わたしはようやく火を消して、何事かと寄り添ってくれていた犬をつれて外に出ました。

イヤフォンからは、彼が憧れる先輩のデビュー曲が流れました。そうだ彼はこの曲を、ぴょんぴょんと飛び跳ねて踊っていた。かかとがなかなか床につかなくて、そんなところも天使みたいだって、本気でそう思って笑っていました。

前へ、前へ、とりあえず、どこか行きたい。
いつもより早足のわたしに付き合って、犬は一緒に歩いてくれました。どれくらい歩いていたかわかりません。気付けばわたしは海に着きました。まだ夕方にもならない時刻だったのに空は暗く、雨が降りそうでした。
これだと、星が見えない。
わたしはそう思いました。七夕産まれの彼には、星がよく似合う。キラキラと瞬く、お星さま。ぼんやりそう思った後に、ぞっとしました。何に対して悲しいのか、つらいのか、わからない。
彼はこのままジャニーズジュニアで居続けられるのだろうか。辞めさせられてしまうのだろうか。もう踊る彼が見れないのだろうか。なんで、どうして。どうして、あんな写真が出てきてしまったの。あんなことをしたらいけないって、きみならわかっていたはずでしょう?
悲しみの後の怒り、絶望。混乱して、手が震えました。
わたしは自分の感情にさえ混乱しました。
本当は、そこまで気にしなくていい写真だったかもしれないんです。
その写真は限りなくグレーで、「もしかしたら、最悪の場合は処分されるかも」というぐらいのものでした。事実、わたしは友達に「あれくらいでそんなに気にするの?」と聞かれたこともあります。
頭ではわかっていた。けれど、わたしはどうしても許すことができませんでした。わたしの大好きな彼を、彼自身の手で台無しにされてしまった。それがどうしても許せなかった。

あのころのわたしは、多分とても不安定で、友人に話を振られると苛立ったし、けれど不安で話をして、「大丈夫だよ」と、慰めでもいいから言ってほしかった。彼をなじる言葉ばかり浮かぶのに、誰かに彼をなじられると許せなくて辛かった。

では、その「写真」の後、彼はどうだったか、というと、表面上、何か変わったように見えませんでした。
立ち位置を下げられたり、現場がなくなったり、そんなことはありませんでした。
何も変わらない。よかった。じゃあ今まで通り、応援していける。
そう思ったけれど、それはなかなかうまくいきませんでした。

双眼鏡を通して見る彼は、今までと変わらずにこにこと笑って、飛び跳ねるみたいに踊って、楽しそうでした。そんな彼を見て、前のように「かわいい」「かっこいい」「大好き」と思うのに、一点、拭っても拭ってもとれない違和感がありました。
何度も湧き上がる「裏切られた」という思い。彼を見ているとわたしはすごく疲れました。自分で自分を制御できない。どう思えばいいのかわからない。大好きなのに憎たらしく、苦しくて苦しくて仕方ない。
耐え切れなくなったわたしは、彼を応援するというジャニヲタとしての看板を下ろすことにしました。寸断された熱の行き場をどこにもっていけばいいのかわからず、彼の位置に収まってくれるひとを探して、いろんなものを見たり、現場に足を運びました。
けれど、担当というものが彼を見ているときのような熱量を帯びるものであるならば、それに満たすひとはなかなかいませんでした。
半年以上そういった状況が続いたある日、わたしはふと気づきました。

もしかしたら、わたしはまた裏切られるのが怖いのかもしれない。

彼は、わたしなんて裏切ったつもりはないと思います。わたしが勝手に、彼を勝手に理想化して、美化して、勝手に好きだと思っていただけ。勝手に好きになって勝手に怒って裏切られた気分になっただけ。けれど、その傷は思っていたより重くわたしの心に鎮座しました。

以前、askで頂いた質問に、こんなことを書きました。

担当になる人、推し止まりの人、それぞれの違いはありますか? | ask.fm/scarlet_shoes

Q:担当になる人、推し止まりの人、それぞれの違いはありますか?

A:推し止まりは刹那的な快楽目当て、担当は痛みも辞さないって感じでしょうか。
推しはなんというか、伝え聞く私生活がカスだろうが、セカンドキャリアに向けて準備万端だろうが、乱暴にいうとデビューできなくてもいいというか、今見てる時点で好きならそれで良い!って感じなんですけど、担当といったからにはお前の神輿、私もかつぐわ!ということですごいなんつーか重いです。
あとは推しは加点式、担当は減点式ですね。
人による違いは……担当には清廉潔白を求める傾向にあります。ちょっとでも私生活がアレな匂いがすると、その事実に萌えても担当にはできないなーと思います。
あとは推しの子は頭で色々考えながら、「あーかわいい、ここがかわいい、ここも萌える」って見れるんですが、担当は見たときに脳内が悲鳴で埋め尽くされ、自覚していない声がでますwwwそして見た後の記憶がない…
推しは理性、担当は本能で好きって感じでしょうか。こんな感じであってるかな?質問ありがとうございました!

この回答、10か月前のものらしいのですが、今読み返すと「担当は痛みも辞さない」という一文は、「そうでありたい」という願望のように思えます。本当は、あんな写真なんてどうでもいいって笑って済ませてしまいたかった。悲劇のヒロインぶっているようで自分が痛々しくて恥ずかしかった。けれど、もうなりふり構っていられないくらい苦しく、辛かった。痛みも辞さないで、ずっと彼を応援していたかった。ステージ上の瞬くおほしさまを、ずっと見ていたかった。

こんなことをつらつらと書いていましたが、なんでこれを今このタイミングで公開しようかと思ったかと言いますと、2014年の秋くらいからかな?彼を見かけることが減りました。
ちょっと嫌な予感がするなと思いつつ気にしないようにしていたのですが、元日に幕があいたJohnnys' Worldにも彼の出演はありませんでした。
もしかしたら、ここにいるかも、こっちにいるかも、と思って動向を気にしていましたが、この1月、彼の姿はどこにもありませんでした。
それが、どういうことなのかはわかりません。彼曰く、正月は風邪をひいてしまっていたそうです。どこか、JWじゃない何かに出演する予定が、出れなくなってしまったのかもしれません(パンフレットにいなかったのでJWはそもそも出ない予定なのでしょう)
具合が悪いのか、大学が忙しいのか、どうしてステージに立っていないかわかりません。けれど、わたしは気付きました。「彼がいなくなってしまうかもしれない」。その感覚が、日に日にリアルになっていきます。最後に生で見た彼はいつ、どこでだっけ?考えても思い出せないくらいなのに、今更、私の胸に残ったままの彼のことを考えることが増えました。
もう会えないかも、見れないかもしれないのに、果たしてこれでいいんだろうか。
いつまでもこんな気持ちで、死人みたいに過ごしていたいわけじゃない。

そんななか、わたしはようやく、このひとの担当になろうと思える人に出会えました。
それは、毒が致死量に至ってしまったが如く、冷え切った身体が熱を取り戻すが如く、穏やかな気付きでした。
その人に決めたからには、胸の違和感をどうにかしなければならない。
拭っても拭いきれない違和感は、きっとわたしの心に突き刺さった墓標だったのでしょう。

あの日死んだ、信じるという気持ちに対して、手向けの花代わりにこの文章を公開しようと思いました。そうしないと、先へ進めない気がしたからです。
決して誰に向けて、もちろん「彼」に向けて書いた文章ではありませんし、誰かを批難しようとも、傷付ける意図もありません。
今現在彼を応援している方には、きっと不快にさせてしまったかと思いますが、わたしが勝手に彼を好きになって応援して、勝手に悲しくなってしまったという事の顛末を書いておきたかっただけです。

たかが趣味の、アイドルの消費活動に何いってんだコイツ、という方は、きっとそれが正解です。
心身のバランスを崩したり、悲しい思いをしながら応援するものじゃありません。ハッピーにオタクやっていきたいです。けれどそれすらできなかった、哀れな一年あまりのお話です。


願わくば、君に幸多からんことを。