眠たくなるには

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花に嵐の喩えもあるぞ

寺西拓人という存在を知ったのはいつだったか。
瑞生くんのシンメ、タイトなパンツを履いてる、エロい顔のお兄さん(年下なんだけど)。
瑞生くんを知って好きになったのはJJLで、踊る瑞生くんを見るまで少しタイムラグがあった。
踊るその向かい側に、いつでも寺西がいた。
シンメって、もしかしたら一番目に入らない存在なんじゃないか、っていつも思う。だって自担の端にいるわけで。シンメが踊れば自担も踊ってるわけだから、わざわざ自担から目を離して双眼鏡を向けないと絶対に目に入らない。

寺西と瑞生くんのことを、北風と太陽って喩えてた。
寺西はもう見るからに危なそう(この危ないというのはひょいととってもぐもぐ食べて飽きたらポイってされそうという所謂チャラそうな意味で)で、瑞生くんは普通に見たらきらきらと明るくて純粋そうで、けれどたまに見せる表情がセクシーで。
寺西は最初からオンナが警戒しそうだけど瑞生くんはしなさそう。だから北風(寺西)と太陽(瑞生)。
ダンスもルックスも、全然違うのにいきなりシンクロして、こいつらシンメだ~!と思わせる不思議な力をもった二人。

瑞生くんが辞めてしまって、寺西は今、長妻くんと踊ってる。
セクシーファミリーにぶっこまれて、キラキラしたセクゾンの曲をいつもの苦笑いがまざったような笑顔で踊っていて、なんか変。なんかちょっと違う。こんな健康的なの、拓人らしくないなあって思ってた。いやかっこいいんだけどね。
知らないシンメ、知らない振り付け、知らないことばかりのところにいってしまう。私はまだ、瑞生くんと踊る寺西のことばかり考えているというのに。
とおいなー、って思った。横浜アリーナのセクゾンコン。知らない寺西だ、当たり前だけど。新しいシンメの子は、タイプも見た目も似ているね。ダンスの系統もちょっと似てるのかな。
それから少し、さみしいなあ、って思った。
もし、彼が辞めてなかったら、そこにいるのは、一緒に踊ってたのは瑞生くんだったのかな。
なにをいったって仕方ない。ここは「そうじゃなかった」未来のひとつ。てらみずシンメがまだあって、二人が踊る未来もきっと、どこかにあったはず。数あるパラレルワールドの一個。複雑な事象が重なって、わたしの目に映ることになったそれ。
たらればを言うのは好きじゃないけれど、けど言いたくなる。どこかにあったはずの、もしかしたらあったはずの未来。

けどそれが、本当に寺西にとっての最良なのか?っていったら、どうなんだろう。
おたくの数ほど最良がきっとある。わたしの最良と、ほかの子の最良と、寺西の最良はきっと違う。
寺西の「ベスト」がどれかわからないけれど、今この状態を寺西にとっての「ベスト」にしてあげられるのは、多分おたくの役目なんだと思う。

はっきり、たぶんれおれおに嫉妬してた。キレイでかっこよくて、若くてぴちぴちしてて、花道を歩くとおたくがバタバタ倒れそうな色気をもった、おなじ「北風」の男の子。
翳った太陽の代わりにやってきた新しい風。

たくさんあるさよならのうちの一つ。ジュニアを応援するっていうのは、こういうこと。諸行無常だ。うちわを振って、大好き!と思った子たちはひょんなことでいなくなる。それもすっごく簡単に。
わたしはまだ囚われて、些細なことで思い出して、悲しくて泣きだしたくなる。大好きだった瞬間を、いくらだって見ていたい。前を向く彼らの足を引っ張ることになると知りつつも。

いつか、いつだったかな、寺西が49に出るって発表があってすぐの少年収のメモに、「おいていかないで」って書いてあった。
シンメから離れて、前でマイクをもって歌う寺西をみて、どうしようもなく淋しくて悲しかった記憶がある。

安寧なんてないし、猛スピードで物事は進む。けれど、あともう少し、まだもう少しだけ、ここで座り込んでいたい。
確実にあった、あの瞬間を、まだもう少し夢見ていたい。


「花に嵐の喩えもあるぞ/さよならだけが人生だ」