手の届かない夜空へと
やすいくんのことを考えているとき、わたしはやすいくんのことを「文学なのだ」と思います。
「日本語って視覚的にゴージャスな感じがしていいですよね。漢字は贅沢な絵みたいだし、ひらがなは無邪気で色っぽい」 ー恩田陸/麦の海に沈む果実
本来、ひらがなは女性のものといわれていました。ひらがなを女手、漢字を男手と呼んでいたのです。
満月の夜の海/ライラック/ハルディン・ホテル/赤い車/夜空みたいなコート/おおきな帽子/マカロン/タイプライター/床に零れた赤ワイン/chloe/ピンキーリング/金平糖/キャラメルマキアート/ランコムのマスカラ/姉/おふとん/母親/短い爪/双眼鏡/高層階/玉座/杖/ノースリーブ/慈愛
これらが、やすいくんのことを考えると出てくる断片的なイメージの数々。
そういうものを拾い集めては、どうにか自分の見ている彼を形容しようと考えています。
ですが、Hクリエで至近距離でやすいくんを見たとき、わたしはなんだか、とてもとてもどうしようもない気持ちになりました。
「やすいくん、やすいくん」とうわ言のように声に出して、たぶん聞こえていなかったと思うような距離なのに、やすいくんの、あのまんまるの目がわたしを捉えた。
アイドルと向き合うと、自分がどうしようもなく矮小なものに感じられます。圧倒的な美しさや眩さに、くるしいと思ってしまうからです。
けれど、やすいくんを見たときはそんな気持ちになりませんでした。形のいい唇のはしっこをちょこんともちあげて、わたしに手を伸ばした。
数あるハイタッチのひとつ、たかがそれだけなのに、頭の中の断片的なイメージの数々が瞬く間に書き換えられていく心地がしました。
頭の中が真っ白になる、とは間違いなくこういうことを言うのでしょう。いや、黒だった。やすいくんの着ている白いシャツの衣装と、真ん丸で黒い、吸い込まれそうな瞳。その瞳がフォーカスされて、塗りつぶされていく。
クリエが終わってから、あれはなんだったのだろうと考えます。
言葉をどれだけ探しても、対面したあの黒をあらわす言葉がない。それについてわたしがどう思ったのかも曖昧。ただあのほんの一瞬の出来事は、公演から一か月経ったいまでも、夢に出てきますし、ふとした瞬間にリフレインします。
漢字をひらいて、やすいくんのことを考えてどうにかこうにか言葉にする。文章にする。言葉にしてしまえば、その感覚はわたしのものになるからです。やすいくんをわかったつもりになりたくて、わたしはたくさんの言葉を考える。わたしの中でやすいくんは、文学なのです。
しかし、言葉とはあまりにも無力でした。やすいくんのあの黒々とした瞳は、悠々とわたしの言葉を食べてしまいました。
*1:男もすなる、日記といふものを、女もしてみむとて、するなりってやつ