眠たくなるには

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手の届かない夜空へと

やすいくんのことを考えているとき、わたしはやすいくんのことを「文学なのだ」と思います。

 

ひらくと閉じる、って、なんのことだか知っていますか?
文章を書くときに、漢字を使わずにひらがなを使うことを、漢字を「ひらく」といいます。
大学でわたしは文章を書く勉強をしていて、わたしが提出したコラムを読んで、教授が言ったのでした。
「あなたはひらくのが上手ね」
わたしには思い当たるふしがありました。 
 
大好きな小説に、こんなセリフがあります。
とっても美しい外人の男の子のセリフです。
「日本語って視覚的にゴージャスな感じがしていいですよね。漢字は贅沢な絵みたいだし、ひらがなは無邪気で色っぽい」 ー恩田陸/麦の海に沈む果実

本来、ひらがなは女性のものといわれていました。ひらがなを女手、漢字を男手と呼んでいたのです。

なんでかというと、遥か昔平安時代、ひらがなは物語や随筆を書くのに用いられました。物語や随筆は、ひらがなの方が読みやすかったからです。そして、論理的思考や、訓話などを表現するには、漢文で書かれることが多く、漢字を用いていたのです。
物語や随筆は女性が、訓話や論理的思考の文章は男性がよく書いていました。昔々紀貫之は、女性になりすまして*1土佐日記を書きました。文章だけでなく、ひらがなで書くことで女性を表したのです。
 
わたしはやすいくんの話をするとき、わざとやすいと漢字をひらきます。安井というよりやすいの方が、なんだかやわらかな雰囲気の彼っぽいと思うからです。
前述の、麦の海に沈む果実の中で、ヨハンは「ひらがなは無邪気で色っぽい」と言いました。その通りだと思います。「麦の海に沈む果実」を初めて読んだ中学生のころから、ずっとこのセリフが頭に残っていました。
ひらがなのやわらかく、まるいフォルム。甘いのにどこか毒のあるそれ。その感覚はまさしく、わたしにとってのやすいくんにぴったりでした。だから、できるだけ彼のはなしをするときは、漢字をひらいて紡ぎたいのです。
ただ、漢字をひらきすぎると、とっても頭が悪そうに見えます。あとはわかりにくかったりします。日本語は同音異義語がたくさんあるので、着くのか付くのかつくのかわからないことがあるのです。
 
やすいくんのことを考えるとき、とても抽象的な映像をおもいます。
やすいくんという対象から与えられるイメージの数々です。
そのような抽象的なイメージの断片を、どうにか彼へつなげる形容詞にするために、わたしは色々と考えを巡らせています。
 
前に、やすいくんからイメージされる単語を教えてくださいというaskをいただきました。

満月の夜の海/ライラック/ハルディン・ホテル/赤い車/夜空みたいなコート/おおきな帽子/マカロン/タイプライター/床に零れた赤ワイン/chloe/ピンキーリング/金平糖/キャラメルマキアート/ランコムのマスカラ/姉/おふとん/母親/短い爪/双眼鏡/高層階/玉座/杖/ノースリーブ/慈愛

これらが、やすいくんのことを考えると出てくる断片的なイメージの数々。

そういうものを拾い集めては、どうにか自分の見ている彼を形容しようと考えています。

ですが、Hクリエで至近距離でやすいくんを見たとき、わたしはなんだか、とてもとてもどうしようもない気持ちになりました。

「やすいくん、やすいくん」とうわ言のように声に出して、たぶん聞こえていなかったと思うような距離なのに、やすいくんの、あのまんまるの目がわたしを捉えた。

アイドルと向き合うと、自分がどうしようもなく矮小なものに感じられます。圧倒的な美しさや眩さに、くるしいと思ってしまうからです。

けれど、やすいくんを見たときはそんな気持ちになりませんでした。形のいい唇のはしっこをちょこんともちあげて、わたしに手を伸ばした。

数あるハイタッチのひとつ、たかがそれだけなのに、頭の中の断片的なイメージの数々が瞬く間に書き換えられていく心地がしました。

頭の中が真っ白になる、とは間違いなくこういうことを言うのでしょう。いや、黒だった。やすいくんの着ている白いシャツの衣装と、真ん丸で黒い、吸い込まれそうな瞳。その瞳がフォーカスされて、塗りつぶされていく。

クリエが終わってから、あれはなんだったのだろうと考えます。

言葉をどれだけ探しても、対面したあの黒をあらわす言葉がない。それについてわたしがどう思ったのかも曖昧。ただあのほんの一瞬の出来事は、公演から一か月経ったいまでも、夢に出てきますし、ふとした瞬間にリフレインします。

 

漢字をひらいて、やすいくんのことを考えてどうにかこうにか言葉にする。文章にする。言葉にしてしまえば、その感覚はわたしのものになるからです。やすいくんをわかったつもりになりたくて、わたしはたくさんの言葉を考える。わたしの中でやすいくんは、文学なのです。

しかし、言葉とはあまりにも無力でした。やすいくんのあの黒々とした瞳は、悠々とわたしの言葉を食べてしまいました。

 文学ではないのだ、このひとは、そんなに御しやすいひとではない。
 
やすいくんを思うと、やすいくんはいつも笑っています。
とても優雅に。優しく。
けれど、その眇めた目の中には、ひと匙の毒が混じっているのです。
 
 

*1:男もすなる、日記といふものを、女もしてみむとて、するなりってやつ