眠たくなるには

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眼光、鋭くなって(パート2)


誰がどこについて、幕開いたらいたよいないよって一喜一憂するのは本当ジャニヲタの性なんだと思うんだけれども、今回のTheyクリエほど「私得!」っていうバックは無かったんじゃないかなって思って。

あ、またもやですけど、They武道クリエの話です。
(そしてこれはThey武道クリエについて思ったことを、3つの切り口で書いてみようとおもったうちのふたつめです)

なんでだか本当にわからないんだけれど、3月にクリエが発表されてすぐ、なんとなく嘉孝がTheyのバックにつくんじゃないかって思ったんです。これは本当にただの勘というか、ついてほしいという希望だっただけなんだけれど。
They武道自体は雑誌でバックがつくことを教えてくれて、けど少ない情報だったから誰がつくだなんてわからなかったんだけど、けど何故かわたしは嘉孝がきっとつくって思った。今思うと、嘉孝たち以外に適任がいないじゃん!と思ったのかもしれない。
Theyの作り出す、細かい音までとった、息もつけないくらいのダンス。あれにしがみついて踊ってみせれるの、今の嘉孝たちならできるじゃん!って。
結果、本当につくだなんてわかんないし、誰がついたってきっと楽しいからと自分に言い聞かせて、わたしはクリエの席について。
3曲目、ハルカナ約束は赤いスポットライトで、「今日一緒に頑張ってくれるメンバーを紹介するぞー!」ってはやしくんが叫んだ、そこに嘉孝たちが立っていた。
ちょうどわたしは下手の席で、下手のせりあがった部分に嘉孝が立っていて、すっごい不敵に笑って客席を見下ろしてて、まるで「びっくりした?」って聞かれてるような、「まってたでしょ?」って言われてるような。
待ってたよ、ここに立ってほしかった。ぜいのバックで踊るおまえらなんて、かっこいいに決まってるじゃん!もう!って思って。
そしたら本当に、やっぱりかっこよかったんですよ。知ってた。知ってたけど本当に。
FightingManでガッシガシ踊り始めて、あーこれは、と。すげええげつない振り付けだな!*1って。
食らいつくっていう表現が一番しっくりくる。いつもポーカーフェイスの森継も、しれっとした顔の拓人も、珍しく、ちょっと固い顔で踊ってた。たぶん閉じた口の裏側で、固く歯を噛み締めてるんだろうなっていう。そうじゃないと置いていかれちゃうんだ。

息つく暇もなくバックの名前を呼びあげるメンバー紹介ダンス。
森継の名前をコールして踊って、目黒が踊って、目黒の股の間からえだちゃんが顔を出して、そしてびょこんと抱き付いて(ここ身長差たぶん20cmくらいある)、拓人が踊り出して、はやしくんがそこに入っていって、お姫様抱っこをして。てらばやし、とコールされた二人とハイタッチして嘉孝が前に出てくる。ぎらぎらした目線。けど口端は持ち上がって笑ってる。りょーちゃんが後ろからやってきて、馬跳びしたいけどお前でかくて飛べねえよって怒って、亀みたいに屈んだ嘉孝をぽーん!と軽やかに飛び越えてダンスが終わる。
多分、多分きっとだけど、普段なかなか現場が被らない*2、しっかりバックになんかついたことのない後輩たちを、どうしたらお客さんに受け入れてもらえるかって考えてくれたんだと思う。ただのバックではない、踊るだけが仕事じゃない。バックも含めてThey武道の公演で、このフライトの乗組員なんだって言ってくれてるみたいで、本当にうれしかった。
全員、本当に上手にバックを使ってくれていて。
りょーちゃんはLove yourselfで自分の周りを囲むようにバックを配置して。ちっちゃいメインのりょーちゃんと、平均身長178cmという驚異なでかさのバックたち。これがほんと、ばかみたいに難しいダンスで。指先、足の先、りょーちゃんとの距離感、全てにおいて、今じぶんがもってるテクニックの全部を出してこいっていうような、すっごいダンス。なのにそれが終わってもう数秒後には、着ていた衣装の上着を脱いで次の曲の演出のために嘉孝はステージに立ってる。
二日目からMCに参加させてくれて、お立ち台にも立たせてくれて。何回も名前を呼んでくれて、「もっと前においで」って声をかけてくれて。They武道の公演なのにね。すごいバックの四人のことを考えて気を使ってくれて。けど、でも、バックの四人も、その分出せる力は本当に全部、からっからになるくらい出した、とおもうの。私的には。
こんなにしんどそうな、苦しそうな、けど楽しそうなギラギラした顔、そうそう見られないんだよ!

森継と、寺西と、原と、目黒。
総無所属時代って呼ばれて久しい昨今。昔はユニットに属していない子を探す方が大変だったのに、今は逆にユニットに属している子の方が少ない。安井くんだって萩ちゃんだって増田様だって言っちゃえば無所属なわけで。
けど、ある程度ジュニアに詳しい人なら、「無所属」って呼ばれて頭に浮かぶのは大体ここのメンツ。ちょっと前まではここに、寺西の隣くらいに瑞生くんを思い浮かべる人が多かったと思う。それが無所属、所属が無いって書いて、無所属。
ふわっふわしてて、フッて吹いたらぱっと消えちゃうような子たち。
墓場って呼ばれてた嵐組から這い出てきてしれっと少クラに出れるようになった森継。
唐突に49に大抜擢されて、おかげで当時の無所属のラインからポンと抜けちゃって宙ぶらりんになって、何故かセクシーファミリーに入れられた拓人。
二人でずっと、ただただひたすら場数を踏んで、経験値が人気になって跳ね返ってきて、ドラマまで出してもらえるようになった目黒と原。
ここから寺西が抜けたり、たまに森継がいなかったり、どこいっても目黒と原は一緒だったり、じわじわ立ち位置が良くなって、けど。
ずっとわたしは、もういなくなったあの子の影を探してしまって。ふわふわと、浮いてるみたいに踊る彼の姿。だからこのラインを見るのが本当に苦しいってときもあって。不変なんてないんだよ。頭ではわかってるのに、寺西がドラマに出たときは置いて行かれちゃうって悲しくて、少クラでマイク持ってるのをみたらつらくて。嘉孝と目黒が快進撃と言わんばかりにいろんな現場に出ては先輩に可愛がられ、いつこのラインが崩れたっておかしくないのに。
変わってしまうのが怖いって、ずっとこのままがいいって泣いてしがみついてたけれど、あの子はあっさりと、流れ星みたいにシュッとステージからいなくなってしまった。
けど今回のクリエで、一度もあの子の幻影を思い出さなかった。4人が綺麗にフォーメーションを組んで踊ってて、ああもう、どっこにも影が見えないや。入れないね、この中には。ってあっさり。
どうか、ちょっと悔しいって思っててほしいな。君が下した決断は、きっと君のためになったけれども、君がずっと一緒にやってた戦友たちは猛スピードで前に進んでるよ。すっごいかっこいいよ。振り落とされないようにしないと、わたしまで吹っ飛ばされちゃう。

堂々と立って、ただのバックだけじゃなくて公演を演出を楽しもうとする四人、本当にかっこよかった。
たぶん今回のバックはThey武道の指名ではなかったんだと思うんですよ。オーダーがあるとすれば、「おれたちのダンスについてこれる人」。自分たちのダンスのえげつなさは自覚あるみたいだからwきっとそれだけ。それでどうして四人が選ばれたのか、スケジュール的な問題なのか、それともダンスの腕なのかわからないけれど。
ぜひ誇ってほしい。小さな、クリエというステージだけれど、They武道っていう先輩はすっごくいろんなことを見てきて、踊って踊って、10年以上踊り続けてきたんだよ。一流に触れる彼らと踊れる滅多にない機会に恵まれたこと。それは四人が頑張ってきたことが認められたから。これを誇らずして何を誇るのさ!
そして来年は、この四人(だけじゃないけど)の名前が印字されるクリエにいけますように。
They武道のクリエで頑張ってくれてありがとう。四人のことをちゃんと考えてくれてありがとう。どっちにも感謝の気持ちでいっぱいなクリエ!さいっこーに!たのしかったぜ!

*1:嘉孝いわく「強い」

*2:私の記憶が確かならば、ちゃんと被ったのは2013年の歌舞伎くらいで寺西にいたってはほぼほぼ初めまして

途方もない旅の途中(パート1)

 途方もねえなー、というのが、初日終わっての感想でした。
 あ、They武道クリエの話です。
 (そしてこれはThey武道クリエについて思ったことを、3つの切り口で書いてみようとおもったうちの最初のひとつです)

 They武道クリエに行くのは去年に次いで二回目で、去年は本当に本当に好きになってすぐだった(歌舞伎で好きになりました)ので、セットリストにときめくこともなく、ただ客席には「お馴染み」なのだろうその曲たちを、本人も客席も本当に嬉しそうに共有していて、どうしようもない疎外感を覚えた記憶があります。
 予習が足りなかった。たぶんw嵐をさらおうとも、キンキを予習しようとも思わず、なんなら愛・革命すらちゃんと聞かずに足を運んだクリエ(今思うと何を考えてたのか…)
 この人たちのルーツは、ねっこは、嵐なんだと思ったけれど、私が嵐担だったのは1999-2003にかけてだったので、もう私の知らない嵐でした。
 それが、去年の話。
 そこから夏のPZに行って、嵐のコンサートにいって、冬のPZは行けなくて、はやしくんをわたしの一番にするのかどうしようか、あーあーうんうんとなりながら春が来て、歌舞伎がきて。
 わたしは一番にはやしくんを選ばなかったけれども、それでもThey武道がすきだった。
 運よくとれたチケットを手に、会場に足を運んで、入り口で搭乗券をもらって。そこからはほんと、瞬く間。
They武道の様式美は確かにあって、やるんでしょ、デジタリアンから一曲?とか。ソロどうすんの?どの大野くん?とか。それは去年から今年にかけて、私がThey武道と共有した記憶の中からの産物。
楽しくて楽しくて、最後、ぷはー!って息を吐いて、そして。
 途方もねえな、って思いました。途方もないものを見せられたって。
 搭乗券とかジャーニージャーニーとか到着地がOur Dreamみたいなのってごめんだけどわたしには結構どうでもいいなあと思っちゃって(本当にごめん)、それよりもなによりも、「オリジナル曲がないなら作ればいいじゃない」「今日入れなかった人、平日はこれないって人、遠い人、行くから呼んで」って、その姿勢にひたすら、「ああ、」って思った。

 実はね、去年ずっと考えていたことが、「いずれくるお別れがある人を見る覚悟」という話で、わたしと友人はそれを「老犬を見取る覚悟」と呼んでいたんだけれども、それはすなわち、「きっともう、デビューは無理だろう」って思うひとを応援するってどういうことなのかなという話なんです。
 無理って決め付けるなとか、何が起こるかわかんないって、いや本当にそうなんだけど、そうだけれど、でもじゃあ出来ると思ってるの?というのも事実で、最初から諦めてんじゃねえよって話なんだけど、それでも。何回も浮かぶ、「でも」。
 この「でも」については本当に死ぬほど、酒飲みながらパンケーキつつきながら肉ひっくり返しながら、それこそ禅問答のように「でも」「でも」「でも」を友人たちと積み重ねて、「今がよければいいじゃない」「今って本当に今だけなの?今がたくさん繋がって未来になって、そのときいなくなるんだよ?今がいつそのときになるかわからないじゃない」「そのころには飽きてるよ」「わからないじゃない!」「じゃあもう応援しなけりゃいい、デビューできそうな推されだけ見てたらしあわせだよ」「けどあの子たちが好きなんだよ」「いなくなったときに後悔しないようにたくさんみなよ。いなくなったあとにあれをすればよかったこうすればよかったって全部遅いし」「その後悔をしたくないんだよおおおお」っていう、でもの応酬。
 失うのが怖い。失った時泣くのが怖い。もう二度と会えないかもしれないと思うのが怖い。そんな臆病から生まれるたくさんの「でも」。
そのでも、を「やかましいわ!」と払拭したのが、「なければ作ればいいじゃない」「近くにいくよ」だったのかと思います。デビューはもちろんしたい、だろうけど、デビューだけが全てじゃないのも最近の傾向としては事実で。そしてそれにプラスオンされる、「全然諦めてないんだよね俺ら」っていう、殺気立ってる獣のような、それでいて軽やかな風のような、ずっしりとそこにいて輝く石のような。諦めてないんだってさ。本当に?わたし諦めなくていいの?一緒にその夢乗っかっちゃっていいわけ?って思って、じゃあつれてってよ、おっきい会場にも、ちいさい会場でも。土日の公演でさ、大手振ってチケット握っていきたいんだわ。つれてってよその会場に。そんなことを思って、途方にくれた。本当かなあ?っていう気持ちと、本当にしないとなあっていう気持ち。他人事じゃないんですよ。「呼んで」っていうのは、相手に行動を委ねている言葉で。呼ばないとこないんだってさ、They武道。待ってちゃだめなんだってさ、They武道。そっかー。そうだったのか。
 三人でぎゅーって、くっついてひっついて、一人は弾丸みたく、一人は軽やかに、一人はずっしりと、ただただ進んでいく。そういう旅かー。自分たちの夢に到着しちゃうってかー。
 江田ちゃんがきっぱりはっきりと、「不時着しませんっ!」って言ったの。しんじてみよっかな。
 結局どうでもよくなかったんだよね、「Our Dream」!

きみが飛ばした銀テープ(ガムシャラJ's Party vol8)

ガムシャラが楽しかったんすよ!という話を聞いてください。

思えばわたしの心の中にやすいくんが介入してきたのは、記念すべき初めてのガムシャラJ's Partyでした。


見たときの感想としては「つまんねー」だったのですが、やすいくんっていいなあ、と思えたのが本当に唯一の収穫だったと言って良いものだった気がしています。
そこからやすいくんいいなあ、好きだなあと思っていたけれど、まさか一年後やすい担になるとは思っていませんでした…www

期待値は本当に高かったです。ガムシャラで好きになったんだから、ガムシャラでやすいくんが見たいのも当然なのでしょう。ワクワクしていた結果、手持ちには全公演分のチケット。協力してくれた友人たちに感謝しつつ、EXに足を運びました。
今回のガムシャラ、Twitterでも拡散されていましたが、3公演目の最終日昼公演からうちわが禁止になりました。後ろの人が見えないからという理由でしたが、それまでの公演で、うちわのせいで見えないというほどうちわを持ち上げている場面に出くわしていないので、真相はどうなのかなというところです。
が、うちわなし公演。これがとってもよかった。
たぶん、今までの公演より煽れという指示が出ていたんだと思います。それくらい、彼らは客席をよく見ていたし、うちわがないオタクはパフォーマンスにだけ集中できた。ファンサがどうこうということは結構どうでもいいと思っています。ただ今回のようなバンドで盛り上げるようなガムシャラの公演にはうちわがない方が良いというだけ。
なんかこう、必死さを感じました。うちわに左右されて客のテンションが下がるのって、冷静に考えたら恥ずかしいことなのかもしれない。うちわがなくても楽しませてこそプロでしょ?とか発破かけられたのか、そんなような気迫を感じました。盛り上げようと思っているのが伝わって、いつもよりも手を上げてみて。相乗効果なのか、客席の熱はぐんぐん上がっていったように感じます。

わたしはライブハウス慣れしているオタクなので、こんだけ盛り上がってめっちゃ楽しんでるけど、周り楽しくなかったらどうしよう?!って思ってました。独りだけめっちゃ楽しかったらどうしようってwww
でもね、それが杞憂だったことは、急遽ぶっこまれたアンコール曲が教えてくれました。
「もう一曲やっちゃおう!責任はおれが取る!」って高らかに言い放ったやすいくん、本当にかっこよかったんですよ。*1演出だったのかもしれないけど、そんな上手い演出があってたまるかー!!!!!というくらい、鬼エモかったんです。本当に、「自担世界一かっこいいいいいいいいいいいいい」って、六本木中に響き渡るくらい大きな声で周知してやりたかったw
興奮混じりに、ハフハフと「たのしい!」「すごい!」を繰り返すステージ上のみんなが、前の二公演のものより明らかに違っていてw
あー楽しいんだ、きみたちが楽しいなら私たちも楽しいよ…と、胸が熱くなりました。

たぶん今まで、ステージ上の興奮についてあんまり信用していなくてwいっぱいいっぱいさで盛り上げていることと、客席の反応で楽しい!と言われることが、リップサービスに聞こえていたんです。だから、誰が見てても一緒でしょ、というか。そういった部分に関して、彼ら(ジャニーズジュニア)に対する信用度ってゼロに近かったんだけれども、ああ、そんなことないんだと。楽しさは伝播して、向こうにも届くんだと。それは稀有な発見だったと思います。

興奮と汗でパンパンになったEXシアターで、誰かが「あれやりたい!あれ!」って叫んで、「コンサートでよく見るやつ!」って言いながらステージ上で手を繋いで。そういうのやるときはおたくも手を繋いでねって声かけるんだよーとか、そういうツメの甘さが慣れてなくてかわいいなって思ったり。
「あれっ俺たちってなに?」
「ジャニーズジュニア?」
「ジャニーズジュニアだ!」
って言いながら、「おれたちがー?ジャニーズジュニアー!」ってみんなで手を上げて。
昼にやったときはかっこつかないから名前をつけてあげたい!って思ったんだけど、夜は「おれたちがっていったらジャニーズジュニアね!」のあとに笑いが起こった客席に、やすいくんが「ジャニーズジュニアでよかったね!」ってさらっと言い放って。

だって夜の興奮ったら本当にすごくて、BadBoys歌った後ステージ上でみんな「なんなんだこれは!」「すごいぞ!」って言い合っていて。こんなことにしたのはきみたちなのに、なんか他人事みたいに、こんな風に自分たちがしたんだってわかっていない感じがすごい可愛くて。

だから、なまえがまだない、卵のような彼らが、全力で煽って盛り上がって、デビュー組がよくやるアレ*2を真似てみて、楽しくてたまらなさそうで、でもやっぱ真似っこで、まだ卵だからそのタイミングで銀テープは降ってこないんですよ。
パン!パン!って笑いながら銀テープを降らせる真似をしていたけれど、去り際、本当に最後の最後。オーラスの、ダブルアンコールすら終わる幕引きの瞬間、やすいくんは「いつかほんとに銀テープ降らせるから!」って言ったんです。それはきっと彼の決意だったし、おたくへの意思表示だったし、約束でもあるんだと思います。

わたし、あれを聞いて、東京ドームに立っているやすいくんの姿が浮かびました。誰だかわからない誰かと手を繋いで、パーンと銀テープが降ってくるイメージ。それは、いつかきっとくると信じたい未来の姿。
やすいくんはきっと、わたしをそこに連れて行ってくれるんだと思います。そう思いたいです。
けどそのためには胡坐かいてるんじゃだめで、応援したら、その分だけそのステージは眩く見えるんだろうと思います。

いつか、本物の銀テープが降ってきたとき、わたしは二月のガムシャラのことを思い出すでしょう。これから先、やすいくんのファンをやっていく限り、何度も何度も出てくる光景なんだと思います。

汗と、興奮が入り混じってキラッキラにしたおもちゃ箱みたいなガムシャラJ's PartyVol8、めっちゃ楽しかった!です!

*1:夜はじんたんにそのセリフ取られたけどw

*2:やすいくん曰く一度はやってみたいやつ

なまえをつけてやる

「名前をつける」という行為は、親から子供への最初のプレゼントだと言います。
わたしは昔から、名前をつける、名前をよぶということに何とも言えない感情を持っていました。名前を呼ぶという行為は、とんでもなく尊く、その呼び方ひとつで、対象への感情が変わっていくような気がするのです。
たとえば、「さん」と敬称をつけるよりかはあだ名をつけた方が身近に感じますよね。向かい合ってお話をしているときに、意識的に相手の名前を入れると、ドキッとするそうです(心理学かなんかだっけか)
なので、「名前」というものはとても大事だと思っています。わたしは自分の名前は別に好きではないけれどw人の名前の由来などにはとっても興味があります。

ここからが本題。
わたしはやすいくんの、「謙太郎」という名前がとても好きです。最近の子にしては、結構古風だなあ、というところから始まって、この名前を、やすいくんは誰からつけてもらったのかな、どんな由来なのかなあと、事あるごとに気にしていました。
この間発売されたテレビガイド*1で、色んなジュニアが名前の由来を話していました。すごく細かく答えている子もいれば、よくわかっていない子もいてw結構人によるんだなあと興味深く読みました。
さて、やすいくんの名前の由来。というより、やすいくんの親御さんがやすいくんにこうなってほしいと願った名前ですね。
「謙虚に太く生きるで謙太郎」。一見すると矛盾してるように思えたけれど、謙虚さを忘れずされど太く生きていけという、親御さんからのメッセージなのだろうな、と思いました。この一文を見た瞬間、なんだかわたしは胸がいっぱいになって苦しくて、やすいくんの親御さん(または名づけ親)に感謝しました。とても素敵な、やすいくんにぴったりの名前だと思ったからです。地に足がしっかりついた、まっすぐ前を見ているやすいくんによく似合っている。いつか、名付け親が誰かまでも教えてほしいなあと願いつつ(笑)

そこから、やすいくんの家族について気になっていろいろ調べてみました。*2
兄弟いない人を担当にするの初めてだなーと思ったら、一人っ子であることがやすいくんの人格形成になにか影響を及ぼしたのかなあと気になったのです。特にやすいくんののことがわかったわけではないのですがw個人的にメモとして残しておきます。

やすいくんは一人っ子。おばあちゃんがおうちの近くに住んでいて、正月はお汁粉をもってきてくれる。小さなころは祭りにいっしょに行ってすももあめを買って食べていて、中学生に上がってもお祭りがあるとすももあめを買ってお家に届けてくれる。(※やすいくんはすももあめが好きです)
お父さんはやすいくんとサイズが似ているらしいので小柄みたい。お洋服の趣味が似ているから服や靴の貸し借りをしている(のもすごいね、やすいくん…)お母さんはやすいくんと似ていてお話が好きで、二人だとずっとしゃべっている。ということは、身体はお父さんに、性格はお母さんに似たのかもしれないですね。女顔だし顔はお母さん似なのかなーとか考えていたけれども。
帝劇中(たぶん初演JW)お母さんにお弁当を作ってもらってたらしく、理由は「外食が続くと体調をくずしやすいから」。やすいくんは給食を食べたことがないと話しているのを読んだので、お弁当をいつも作って持たせていたんですね…愛されている…愛されているね…!
事務所入るまでは夏に南の島に行ってたそうで。やすいくんが事務所に入ってからはご両親だけで行ってるみたいですね。一週間の海外旅行っていいなあ…

いろいろと調べていて思ったのは、やすいくんって語り口がとても優しいんですよね。人間が好きなんだろうなあ。そして好奇心旺盛。ドキドキしたり不安になることも面白がれる力を持っているというか。何かで、「雑誌の取材が好き。カメラの前に立つとこれが一生残るんだってドキドキするけど、最新の服を着たりいろんなヘアスタイルをしてもらえるのが楽しい」と言っていて、この考え方すごい好き!と、たまらない気持ちになりました。かっこいいなあ、人生を楽しむヒントを、やすいくんはたくさん知ってるんだなあ。

*1:3月6日号

*2:といっても、雑誌で話していたことを探しただけだけど

その身体は水溶性で

やすいくんを担当にしてから一か月強が経ちました。
やすいくんを見ているとこんぺいとうをかじったみたいな気分になります。
わたしは昔からこんぺいとうを食べるのが苦手で、あんなに小さいのについ摘んではかじってしまう。
破片がちりっと舌に刺さる感じがして、痛い気がするけれどそれよりも甘い。
おとなになってからは一気に口にしてもいいんだと悟ったのに、なかなかそれが出来ず、不細工な指で美しい欠片をつまんではかじっています。
やすいくんはわたしにとって、舌が跳ねるような甘さと鋭い痛みを持つひとです。

ジャニーズワールドの期間中にやすいくんを担当にして、帝劇に足を運びながら色々と考えていました。
帝劇のスポットライトは、いつだって粋な光だなと思います。そこの下でやすいくんの明るい髪がきらきらと反射して輝いているのを見ると、どうしようもなく胸がいっぱいになりました。出番中のどんなシーンより、LGTEで白いタキシードを着て立っている、あの姿が印象に残っています。ドキドキと胸が高鳴るわけではなかったけれど、いつまでだって見ていたいと思った。やすいくんはなぜか、見ていると安心しました。
ここしばらくは誰かを主軸にしてみているということをしていなかったから、やすいくんから覗くジャニーズワールドはまた違ったものに感じました。

やすいくんの担当になったはいいものの、わたしはやすいくんのことを全然知りませんでした。年齢、声音、身長と、出身地(血液型は知らなかったから今調べてしまいました)一人っ子なこと。それくらい。
前にどこかで、「やすいくんは摂取量と知っている情報量が釣り合わない」と言ったことがあるけれど、まさにその通りでした。ダンスも、歌声もわかるのに、ではやすいくんってどんな人なんだろうと考えたらわからないのです。
いままでのやすいくんの印象は、母性の人。まとめ役でしっかりもので、頭の回転が速い人。
確かにそれはほぼその通りなのだと思います。やすいくんという万華鏡の、一面が見せるもの。
しかし筒をひねると、また新しい面が見えるようになります。

おどけたように、挑発するように舌を出す仕草は癖なのかな。(なんとなくぶりっこというか、可愛らしいイメージだったから意外な顔だった)
周りをよく見ていると言われるけれど、なにかを考えるときは真顔になりがちなんだな。(ずっと笑顔でいてくれているような、そんな印象をもっていた)
両人差し指をタクトのように振ることが多いな。(ダンスの時の癖なんだと思うけれど、そのときにじぶんに魔法をかけているみたいですごくかわいい)

ほかにもたくさん、新しい発見がありました。
ユニセックスな人だと思っていたけれどそれは外見だけで、心は普通の男の人よりも男らしいこと。ただ、その物腰の柔らかさと態度が女性的なだけだということ。だから自分で、女性的なアピールをすることはほぼないこと(けれど空気的にそれが求められていると察したらきっとするのだと思います)

それは乾いたスポンジを水で浸すが如く、今までに比べたらゆるやかな摂取量ですがわたしの頭にインプットされていきました。
かれの目線の動きや、声やしぐさにあれこれ考えを巡らせるのはとても楽しいです。それに答えが伴わないのだとしても。
だんだん、やすいくんをたくさんみて、やすいくんのデータを蓄積していったら、こう考えを巡らせることはなくなるでしょう。この楽しい空想は、「知らない」今だからこそできるものだと思うので、たくさん楽しんでおなかいっぱいにしたいです。が、あまりそのイメージに凝り固まってしまうと、あたらしい一面を知って勝手にがっかりすることがあり得そうなので(笑)ほどほどにしておきます。

担当のいるくらし

オラ担当作るだよ!っつって担当を作りまして、一週間が経過しました。よっしゃ担当どうよ?って聞かれたらね、いやーめっちゃ楽しい。ちょっとこれはびっくりする。なんでって?すっげーたのしいからさ!

担当は安井謙太郎くんっていうちっさくてたぬきににてて、雑誌の紹介文でチーママとか書かれちゃうという、まあそんな感じの人なんですけど、これがまたね、楽しい。やすいくんどうこうっていうか担当制度楽しい。
じゃあ担当出来て具体的にお前どう変わったんだよ?という話をね、しますね。
 
目的ができる
現場に入る目的ですね。去年一年はなんかダウナーで、担当いないし、まー無理して入ることもないなーとか、直前になってめんどくさくなってチケット手放したり(一番ひどいのは会場までいったのにめんどくさくなってチケット譲って帰った)してました。だって担当いないし、誰みようかなーって。お目当てはいるんですけど、熱を上げてない状態だから、暇つぶしみたいになってるんですよ。暇つぶしならこんなコスパの悪いことしたくないやん?こういうところで効率を気にしだしてもうダメ。ってことがあったのに、担当のある今はもうJWすっげー楽しいw内容とかやすいくんの出番とか、いろいろ考えるとこはあるけど、あのシーンのあのやすいくんにチケ代全部!的なテンションで入っています。担当は素晴らしい。現場に入る楽しさを思い出させてくれました。
 
露出に一喜一憂する
これも長らく凍りついてた感情ですね。雑誌出てたら嬉しいし、ガムシャラ出てたら嬉しいし、少年収だーと思って必死に仕事終わらせて行ったらいなくてがっかりしたり。感情の振れ幅があるのも楽しい。
 
担当がいなくてがっかりするという感情を思い出す
上記と被るけど少年収ですね。いやーいなかった!いない!ガーン!ってなったあと、あーわたし残念に思ってる!やすいくんみたかった!それはやすいくんが担当だからや!わー!担当すごいなー!というハイになりましたwwwだってここ最近、本当に嬉しいも悲しいも怒りもなくて、それって興味がないのとおんなじなんですよね。心が動くから趣味が楽しいんですよ。まあこの感情は今だけでこれが続くとやすいくん見たい…って病むと思うけどwww
 
名刺がある
今まではなんとなく、担当を濁したりしてたんですけど晴れて!言える!まあ前のときは担当を表明しないという選択をとってたんですけど、言えないよりかは言えた方が良いに決まっているのでwジャニヲタにおけるアイデンティティが担当制度であると思ってるので、どこに所属しているといえるのはすごい大きいですね。Twitterで別に誰に萌えようがなんでもいいんだけども、自担が世界一だよプレイをしたい芸人なのでやすいくんCawaii!できるのは超楽しいです。
 
気分があがる
まあ単純に、楽しいよね毎日。レポ注視して探してみたり、髪型どうだったかなあとか、次何のお仕事するかなあとから、やすいくんの「謙太郎」っていう名前めっちゃいいなあ、親御さんがつけてくれた名前なのか、現代にしては古風な名前だからおじいちゃんかな、とか。そんなどうでもいいことまで考えて「たのしーーーーーーー」ってなれる。担降りハイ。
 
そんでね。
担当いないんすよーって話してると、わたしもーってよく言われました。大抵その人たちは自分の感情や言葉に責任が持てないから表明できないっていうのがあったんだけど、そういう人たちにわたしは言いたい。担当めっちゃ楽しい!(大の字)
DDなんで好きな人いっぱいいるけど、いちばんっていう王冠はいちばんだから輝くんですよね。いちばんって思うからいちばんになる、的な。
元々の性質上、担当いないとやってけないタイプのおたくなんで、やすいくん担になってよかったーーー!!!!!なのでやすいくんにはすごい感謝感謝です。超楽しいんだもん。
でも一番はこの担当作るぞジョジョ―!という気持ちになれたことが大きいわけだけれども、それに至るきっかけっていうのはまあ色々あって、やすいくんの担当になったのもどこまでもタイミングだったんだと思うんですよね。
だからやすいくんが引っ張り上げてくれた、っていうのもあるけどわたしの意識改革したところが大きいので、このままやすいくん担当として楽しく過ごしていきたい所存です。
 
前回のエントリがあまりにも重くて(しかしPVはよかったの…拡散一個もされていないのになぜか…)あんまりトップ上に置いときたくないので、頭ハッピーモードエントリで更新しておきます。書いてるのは同じ人ですwww

わたしの胸に墓標を

人間、本当にショックを受けると冷水ぶっかけられたみたいな、目の前が真っ白になるみたいな、足の力が抜けてくみたいな、全部みたいなですけど、そんな比喩表現がミルフィーユみたいに降りかかってくるんですよ。
わたしこんなにショック受けたの、産まれてこの方2回目かもしれない(一回目は母親の病気の告知だったけれど、あれはショックというより悲しみで、今回は絶望だった)

そんなわけで、わたしのこころは間違いなく、2013年11月2日に一度死にました。
間違いなくそれは「死」で、そしてそこにぽっかり空いた穴は、じわじわとかさぶたになっています。めくったら血と共に肉が露出するでしょうが、そしてわたしは何度もかさぶたをひっかいては流れる血に安心して、そして痛みと共に湧き上がる怒りを抑え込んでいました。

「彼」は、わたしにとって今までの、どんな人より不思議な子でした。
どうして好きなのかわからない。どこが好きなのかわからない。彼を見ていると胸が温かくなり、彼のことを考えているときが須らく「幸せ」でした。
ただちょっとその「好き」が強すぎて、心身のバランスを崩すこともありました。
20年以上生きてきて、ヲタ事でこんなことになるのは初めてでした。持て余していたし、どうすればいいかわからなかった。

そして私は彼のことを、紛うことなき「天使」だと思っていました。
天使というのは比喩表現で、本当は人間の男の子で、高校生で、ジャニーズJrなんだと、そんなことはわかっていました。
けれど、彼はとても賢くて、清く正しくて、自らの状況を、「社会的にしてはいけないこと」がなんたるかを、よくよくわかっていると思っていました。否、いま思うと、そうであってほしいと強く願っていたのです。清廉潔白で、真面目で、頑張り屋さんな、彼が好きだと思っていた。
だから、あの日、あの写真と共に「彼」に見える誰かの写真が、身の毛もよだつような言葉と共にネット上を駆け巡ったのを目にしたとき、わたしの心は死んだのです。

動けなかったし、言葉にならなかった。たしかわたしはそのときお昼ご飯に石焼ビビンバを作っていたのですが、その写真を見た後、ゆっくりゆっくり焦げていく卵をじっと見ていたような記憶があります。
焦げていく卵と、苦い匂い。わたしはようやく火を消して、何事かと寄り添ってくれていた犬をつれて外に出ました。

イヤフォンからは、彼が憧れる先輩のデビュー曲が流れました。そうだ彼はこの曲を、ぴょんぴょんと飛び跳ねて踊っていた。かかとがなかなか床につかなくて、そんなところも天使みたいだって、本気でそう思って笑っていました。

前へ、前へ、とりあえず、どこか行きたい。
いつもより早足のわたしに付き合って、犬は一緒に歩いてくれました。どれくらい歩いていたかわかりません。気付けばわたしは海に着きました。まだ夕方にもならない時刻だったのに空は暗く、雨が降りそうでした。
これだと、星が見えない。
わたしはそう思いました。七夕産まれの彼には、星がよく似合う。キラキラと瞬く、お星さま。ぼんやりそう思った後に、ぞっとしました。何に対して悲しいのか、つらいのか、わからない。
彼はこのままジャニーズジュニアで居続けられるのだろうか。辞めさせられてしまうのだろうか。もう踊る彼が見れないのだろうか。なんで、どうして。どうして、あんな写真が出てきてしまったの。あんなことをしたらいけないって、きみならわかっていたはずでしょう?
悲しみの後の怒り、絶望。混乱して、手が震えました。
わたしは自分の感情にさえ混乱しました。
本当は、そこまで気にしなくていい写真だったかもしれないんです。
その写真は限りなくグレーで、「もしかしたら、最悪の場合は処分されるかも」というぐらいのものでした。事実、わたしは友達に「あれくらいでそんなに気にするの?」と聞かれたこともあります。
頭ではわかっていた。けれど、わたしはどうしても許すことができませんでした。わたしの大好きな彼を、彼自身の手で台無しにされてしまった。それがどうしても許せなかった。

あのころのわたしは、多分とても不安定で、友人に話を振られると苛立ったし、けれど不安で話をして、「大丈夫だよ」と、慰めでもいいから言ってほしかった。彼をなじる言葉ばかり浮かぶのに、誰かに彼をなじられると許せなくて辛かった。

では、その「写真」の後、彼はどうだったか、というと、表面上、何か変わったように見えませんでした。
立ち位置を下げられたり、現場がなくなったり、そんなことはありませんでした。
何も変わらない。よかった。じゃあ今まで通り、応援していける。
そう思ったけれど、それはなかなかうまくいきませんでした。

双眼鏡を通して見る彼は、今までと変わらずにこにこと笑って、飛び跳ねるみたいに踊って、楽しそうでした。そんな彼を見て、前のように「かわいい」「かっこいい」「大好き」と思うのに、一点、拭っても拭ってもとれない違和感がありました。
何度も湧き上がる「裏切られた」という思い。彼を見ているとわたしはすごく疲れました。自分で自分を制御できない。どう思えばいいのかわからない。大好きなのに憎たらしく、苦しくて苦しくて仕方ない。
耐え切れなくなったわたしは、彼を応援するというジャニヲタとしての看板を下ろすことにしました。寸断された熱の行き場をどこにもっていけばいいのかわからず、彼の位置に収まってくれるひとを探して、いろんなものを見たり、現場に足を運びました。
けれど、担当というものが彼を見ているときのような熱量を帯びるものであるならば、それに満たすひとはなかなかいませんでした。
半年以上そういった状況が続いたある日、わたしはふと気づきました。

もしかしたら、わたしはまた裏切られるのが怖いのかもしれない。

彼は、わたしなんて裏切ったつもりはないと思います。わたしが勝手に、彼を勝手に理想化して、美化して、勝手に好きだと思っていただけ。勝手に好きになって勝手に怒って裏切られた気分になっただけ。けれど、その傷は思っていたより重くわたしの心に鎮座しました。

以前、askで頂いた質問に、こんなことを書きました。

担当になる人、推し止まりの人、それぞれの違いはありますか? | ask.fm/scarlet_shoes

Q:担当になる人、推し止まりの人、それぞれの違いはありますか?

A:推し止まりは刹那的な快楽目当て、担当は痛みも辞さないって感じでしょうか。
推しはなんというか、伝え聞く私生活がカスだろうが、セカンドキャリアに向けて準備万端だろうが、乱暴にいうとデビューできなくてもいいというか、今見てる時点で好きならそれで良い!って感じなんですけど、担当といったからにはお前の神輿、私もかつぐわ!ということですごいなんつーか重いです。
あとは推しは加点式、担当は減点式ですね。
人による違いは……担当には清廉潔白を求める傾向にあります。ちょっとでも私生活がアレな匂いがすると、その事実に萌えても担当にはできないなーと思います。
あとは推しの子は頭で色々考えながら、「あーかわいい、ここがかわいい、ここも萌える」って見れるんですが、担当は見たときに脳内が悲鳴で埋め尽くされ、自覚していない声がでますwwwそして見た後の記憶がない…
推しは理性、担当は本能で好きって感じでしょうか。こんな感じであってるかな?質問ありがとうございました!

この回答、10か月前のものらしいのですが、今読み返すと「担当は痛みも辞さない」という一文は、「そうでありたい」という願望のように思えます。本当は、あんな写真なんてどうでもいいって笑って済ませてしまいたかった。悲劇のヒロインぶっているようで自分が痛々しくて恥ずかしかった。けれど、もうなりふり構っていられないくらい苦しく、辛かった。痛みも辞さないで、ずっと彼を応援していたかった。ステージ上の瞬くおほしさまを、ずっと見ていたかった。

こんなことをつらつらと書いていましたが、なんでこれを今このタイミングで公開しようかと思ったかと言いますと、2014年の秋くらいからかな?彼を見かけることが減りました。
ちょっと嫌な予感がするなと思いつつ気にしないようにしていたのですが、元日に幕があいたJohnnys' Worldにも彼の出演はありませんでした。
もしかしたら、ここにいるかも、こっちにいるかも、と思って動向を気にしていましたが、この1月、彼の姿はどこにもありませんでした。
それが、どういうことなのかはわかりません。彼曰く、正月は風邪をひいてしまっていたそうです。どこか、JWじゃない何かに出演する予定が、出れなくなってしまったのかもしれません(パンフレットにいなかったのでJWはそもそも出ない予定なのでしょう)
具合が悪いのか、大学が忙しいのか、どうしてステージに立っていないかわかりません。けれど、わたしは気付きました。「彼がいなくなってしまうかもしれない」。その感覚が、日に日にリアルになっていきます。最後に生で見た彼はいつ、どこでだっけ?考えても思い出せないくらいなのに、今更、私の胸に残ったままの彼のことを考えることが増えました。
もう会えないかも、見れないかもしれないのに、果たしてこれでいいんだろうか。
いつまでもこんな気持ちで、死人みたいに過ごしていたいわけじゃない。

そんななか、わたしはようやく、このひとの担当になろうと思える人に出会えました。
それは、毒が致死量に至ってしまったが如く、冷え切った身体が熱を取り戻すが如く、穏やかな気付きでした。
その人に決めたからには、胸の違和感をどうにかしなければならない。
拭っても拭いきれない違和感は、きっとわたしの心に突き刺さった墓標だったのでしょう。

あの日死んだ、信じるという気持ちに対して、手向けの花代わりにこの文章を公開しようと思いました。そうしないと、先へ進めない気がしたからです。
決して誰に向けて、もちろん「彼」に向けて書いた文章ではありませんし、誰かを批難しようとも、傷付ける意図もありません。
今現在彼を応援している方には、きっと不快にさせてしまったかと思いますが、わたしが勝手に彼を好きになって応援して、勝手に悲しくなってしまったという事の顛末を書いておきたかっただけです。

たかが趣味の、アイドルの消費活動に何いってんだコイツ、という方は、きっとそれが正解です。
心身のバランスを崩したり、悲しい思いをしながら応援するものじゃありません。ハッピーにオタクやっていきたいです。けれどそれすらできなかった、哀れな一年あまりのお話です。


願わくば、君に幸多からんことを。