眠たくなるには

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おまえにここにいてほしい

つないだ手のはなし。

この話は、今年の一月に書いた
scarlet-shoes.hatenablog.com
こちらの話の続きです。

相変わらず、雑誌やブログやステージ上のことを、穿った見方をしてもろもろこねくり回しています。
以下の文章は、一個人の見解であるということを念頭に置いて読んでいただけたら嬉しいです。


めぐろくんがSnow Manに加入します、となってから、3か月が経ちました。
南座があり、単独の横アリがあり、新橋が始まり。
4/25からは宇宙Sixの舞台、のべつまくなしが始まり。
宇宙Sixの連載は週刊に、そこにSnow Manとしての連載も持ち、
雑誌に掲載され、Youtubeがあり、地上波に出る、と露出はすごく増えました。
思うに、増員云々の話は2月までで大体出揃った印象で、だんだんと「ああ、これ以上は何も表に出てこないのかな」と思っています。

色んな雑誌を読んだ結果、私が受け取った解釈としては、
去年年末辺りにSnow Man加入の打診があったのではないかということ。
(康二と同じか、それより後のタイミング?)
多分ですが、その時は「Snow Man専任」として受け取った話だったのではないかと思っています。
雑誌で「(兼任を)知ったのはみんなと同じタイミング」と言っていて、この()がめちゃくちゃポイントじゃん…
と思っています。
だから、2/5の連載も「新聞発表を見て、思うままに書いた」内容が、「声を出さないといけない」に帰属するのだと思っています。
1/17に出た写真は9人で、それは確か2月発売のWUのカットでしたが、その撮影のときも「雑誌の取材で撮った写真が、1/17にSnow Manの紹介として使われていた」と話していました。
舞台雑誌では、南座に出るジュニアとしてのくくりで撮影もあったし、Snow Manと康二と一緒の撮影については特に疑問に思うところはないと思うのですが、ラウールがいることについても何も考えてないわけは多分ないので、その時点で「Snow Manに加入すること」は知っていたのではないかと思います。

もしかしたら、
Snow Manに加入すること」を年末に聞いたとして、宇宙Sixとしてはどうするか?は、めぐろくんの意思を聞いてもらえたのかもしれないなと思っています。
「続けたい、兼任したい」と返して事務所側にどうするか揉んでもらい、それの答えがどうなるかは1/17まで知らなかった、という解釈もできます。*1

この案件、最初のうちはずっと、「なんで目黒くんなんだろう」と思っていました。
まだグループに入っていない人だっているじゃないか、と。
たくさんジュニアはいるのに、どうして、わざわざ別のグループに所属しているめぐろくんを連れてきたのだろうと。
兼任が今までうまくいった試しはない。
兼任をどうにか両立させるというのは、ジャニーズJr.である以上矛盾が生じます。
だって、デビューしたとしたら、ジュニアのまま留まっているもう片方に所属はできないだろうから。
デビューしているうえでの兼任だとしたらまだしも、デビューというゴールが敷かれている以上、どこかで何かしらの決断をくだすときがやってきます。
わたしは、めぐろくんが可愛くて、めぐろくんが愛しくて、同じくらい、原嘉孝くんという男の人を大事に思っています。
だから、いずれくる何かしらの決断の当事者に、よりによってめぐろくんがなってしまうことが嫌で仕方ないのです。
きっと彼がどんな決断を下しても、もしくは事務所が下したとしても、めぐろくんがなじられる未来が見えるから。
めぐろくんをたたいてもいいという免罪符を渡すことになるのが、どうしても歯がゆくて悲しいのです。
きっと、「めぐろくんじゃないとダメな理由」がそこにあって、だけど、待てど暮らせどその理由は提示されなかった。
提示されると本気で思っていたわけではありません。そんな事務所じゃないことなんて今まででよーくわかっているつもり。
だけど、「そんな事務所じゃないから仕方ないよね」で済ませていた色んなものが、今もこういう悲しみを産むのだと思うとやり切れず、せめて声をあげたいなと思っています。

Twitterにも書いたけれど、「Snow Manに入ること」と「その過程」の話は私の中で完全に別物だと思っています。
目黒蓮というアイドルの物語として、Snow Manに加入することは紛れもなく栄転だと思っている。
ただ、物事として「栄転」でよかったね、と言って話せないのもまた、アイドルとその応援に付随する感情なんだと思います。
わたしが、めぐろくんだけが好きで、めぐろくんだけがよければどうでもいいような、所謂単推し気質なら幸せだっただろうと強く思います。むしろどちらかというと単推し気質なので、こんなにしんどい思いをすると思わなかった。


原嘉孝さんの話をします。

この加入の話から、当事者で一番最初にコメントを出すことになったのは嘉孝でした。
彼のブログには混乱と、悲しみと、決意が込められていた。
わたしはそれを読んで、「ああ、嘉孝にすら話ができていないのだ」と思い、目の前が真っ暗になるような思いをしました。
その後出た宇宙Sixとしての雑誌の嘉孝のコメントで、「発表の日は一日泣いた。その後何日間は無だった」と書いてありました。
それを読んだ時の心の中の感情って本当に、筆舌に尽くしがたいもので。
Snow Manのことが好きで、あこがれていたのはたぶんどちらかというと嘉孝の方が強かったように思います。涙には色んな思いが込められていると思っています。
めぐろくんがSnow Manに加入すること、それに「選ばれなかった」こと。選ばれたのが、ずっと一緒にやっていためぐろくんだったこと、この後どうなるのかという不安、話を聞かされていなかったこと。
デビューするということは、アイドルとして、あの事務所で前に出るということは、骨で作った玉座に座ることと一緒です。いろんな人の想いや悔しさをはねのけるようにしてそこに立っていなければならない。競争しているのだからそれは当然です。当然なのだけれども、頭ではわかっているのだけれど、感情がついてこない。

その後、嘉孝はめぐろくんの歌舞伎を見に京都に行きました。
南座からめぐろくんがかえってきたあと、二人で話す機会があったと教えてくれました。
2017年にめぐろくんがやまりょさんと二人で主演した「桃山ビート・トライブ」は、めぐろくんの役を嘉孝が受け継いで再演が決まりました。
めぐろくんはブログの方が饒舌な人なので(笑)たくさんたくさん、お祝いの言葉を書いてくれました。
「原でよかった。原がよかった」と書いてくれる、それがこのふたりの関係性なのだと思います。

のべつまくなしの幕が開き、わたしも観劇にいきました。
当て書きだろうとは思っていたけれどすごく当て書きだった。
これは私が見た印象なので、細かいところは違うのかもしれません。

怖がり、怯えながらも自分の得意分野でどうにか道を切り開こうとする、江田ちゃんが演じる近松門左衛門。そんなもんたの手を取り、新しい世界を見せようとするやまりょが演じる紀伊国屋文左衛門
ぶんたは自分の過去と決別して前を向き、ただひたすらもんたを信じています。死にたがりのもんたはぶんたと出会って感化され、諦めず、どうにかこうにかみんなを救おうとする。もんたとぶんたはそのまま、えだちゃんとやまりょの関係性をトレースしているように見えました。
最終的にぶんたは、瀕死のもんたを抱きしめて、「死なない!」と叫びます。死にたがりのぶんたは、死にたくないもんたを抱きしめて、「死なない!」と叫ぶ。
大岡越前役の幸大くんは、ものすごく熱い正義感。悪を赦さず、正義が罷り通る江戸にしようとしているけれど、間違えたものを断罪しようとはしません。どこまでも人を信じている。
堀部安兵衛役の嘉孝は、このままだと死に向かって一直線の赤穂浪士みんなを、どうにか「死なない」ようにしようとする。
よしたかは、「死なない」のだ。「死にたくない」から。みんなで「死にたくない」し「痛いのは嫌」だし、「怖い」。そして「死なない」ようにどうすればいいか、それがわからないのもまた、よしたかなのだ、と思う。
死なない、ことは何を暗喩しているのか、もしかしたらメンバーそれぞれ違うのかもしれない。
わたしはめぐろくんが好きで、めぐろくんとよしたかが好きで、きっとそれは変わらなくて。
安兵衛さんは死なないようにどうにかしようと考え、もんたとぶんたの手を借りる。もんたとぶんたのピンチには、長い獲物を引っ提げて助けにくる。
こうであってほしい、と思うのはあまりにも、過ぎた願いなのだと思います。
分かっているんだけれど、それでも、「こうであってほしい」と思います。
本来のよしたかはもんたくらい、「死にたい」ひと。もう無理だ、と思って、自分の至らなさに泣いて、けどなんやかんや、どうにかこうにか立ち続けている印象。
自分の心の弱さを吐露して、けど、自信満々に板の上に立っているひと。

めぐろくんは「死なない」人です。死にたくもない。生き続けたいひと。

のべつまくなし、東京千秋楽で、めぐろくんがステージに立ったと聞きました。
その場にいなかったから、細かいニュアンスはつかめないけれど、よしたかがめぐろくんの手を握って離さなかったと、めぐろくんが「離せよ!」といっても離さなかったと聞きました。
その話を聞いて、「死なない」ようにがんばる安兵衛さんが、リンクしたように思えた。
「死なない」ように頑張る、ところにきてくれてよかったと思った。
ブログや雑誌で言っていた、「目黒は兼任」「諦めてない」「あいつが居やすい環境を作る」という言葉の答えなのかもしれないと思った。
ぎゅうと握った手に、意味をつけて、「きっとそうなのだ」と思いたいだけなのはわかっている。けれど、そのつないだ手の意味は、「おまえにここにいてほしい」であればいいと願ってやみません。

めぐろくんの2/5のブログのアンサーが、あの行動なのだとしたら、わたしはやはり嘉孝のことが大好きだし、信じているし、「死なない」ように頑張る、安兵衛を救う一部の赤穂浪士に、もんたに、ぶんたに、大岡越前になるしかないと思ってます。
いっそ殺せ、と思うことを、「死なない!」「自分の幕は自分で降ろすな!」と突きつけられているうちは、こちらが勝手に諦めてはいけないのだという解釈をしました。

脆くて危うい板の上、きみたちの光がわたしを照らしてくれますよう。
愛と祈りを込めて。

*1:というか、そうだとしたら私の心は浮かばれる。